Oscar Lloveras 武蔵野美術大学課外講義  「フランス人作家オスカー・ロヴェラス 自作を語る - アート・空間・光」 (a)なぜ、どのようにしてアートの道を選んだか 私は幼い頃から、音楽、文学、ヴィジュアル・アートなど、様々な形のアート(芸術)に親しんできました。少年時代に声楽を学びはじめましたが、そのときから既にアートは私の日常生活の一部でした。このように音楽や演劇や文学に親しむなかで、それらから得たイメージを表現する手段として、私は絵を描くこと-素描とペインティング両方を含めて-もはじめました。  私はアルゼンチン、パリの3つの国立美術大学でアートを学び、その後すぐにアートを教える側にも身をおくことになりました。その後大学院に進み、モニュメンタル・アートと建築学を学びました。この頃には私はオペラの仕事をやめていて、そして次第に様々な国の様々な文化に関心を抱くようになりました。  私は先輩のアーティストや教師たちから学んだり、また私自身の創作活動を続けるなかで、世界各地の美術館やギャラリーを見てまわり、様々な作家に出会い、アートについて書いたり読んだりしましたが、あるとき、このような(文明や制度の中の)「アート」から立ち去る決心をしたのです。  それ以来、私は様々な異文化――特に、それまで存在することすら知らなかったような文化――から多くのことを学んできました。オーストラリアやアメリカやアジアの各地で、私は文明やテクノロジーから遠く離れて生活する人々の中に入っていき、そこで彼らとともに働き生活しました。そこでは誰もがアートを通じて自分自身のマスター(主人/師)になれるかのようでした。今考えると、この頃が私の人生の中で最も重要な時期であったように思えます。  私たちは、人生や生活は常に自分の目の前だけにあるものと思いがちですが、本当は深い海の中でも都会の中でも、それは同じように存在しています。そして私たちの中にある人生への欲求が、私たちをそれぞれの宿命や新しい世界や未来に向かって歩かせているのです。  私はアート以外に、副専攻として文化人類学を学びましたが、その関係で、常に口承文学に興味をもち、またそのおかげで世界各地に住む人々をスケッチする機会にも恵まれました。その後大学院に進み、文化人類学の一分野として宗教学を研究をするなかで、その研究調査の一環として、森や山や海の中で行われる様々な宗教儀式を体験し、それまで知ることのなかった異なる世界を発見しました。  私たちが生きているこの世界がひとつのシナリオのようなもので、アートはその中で起こっている出来事のひとつだとすると、私たちは自分の行動(アート活動)を通して社会を変えようとする役者だと言えるかもしれません。 (b)芸術へのアプローチ  まず、デッサンはあらゆる視覚芸術の基礎です。私はデッサンの技術を習得する過程を通じて、視覚的表現について多くを学びました。けれどもまた同時に私をアートへと導いてくれたのは私自身の中の種々の「感覚」だったように思います。  若い頃、私はまずココシュカの流れをくむ画家たちによって打ち立てられたドイツ抽象派絵画の影響を受け、ついで、私の家族と親交の会ったミヨーが率いていたフランスの「6人のグループ」の影響を受けました。  その後アメリカに渡ると、今度は絵画を中心としたアートによる社会運動に出会い、それに圧倒的な影響を受けました。私は路上や壁といった、それまでとは異なるアート実践の場を発見し、興奮しました。けれども同時にこの頃、私はアーティストにとって最も難しいのはアーティストになることそのものなのだということにも気づきました。  私はまた、Liepsikのロシア近代派彫刻やイタリアの空間芸術運動の流れを汲む彫刻も学びました。そうして芸術大学の学生だった若い頃に、先輩彫刻家たちのアシスタントとして、ルーブル美術館をはじめ、ヨーロッパ各地の城や聖堂で石の彫刻の仕事をこなし、実体験を通じて彫刻のテクニックを身に付けました。  アメリカの抽象表現主義芸術運動は、私に新しい表現方法の可能性について考えるきっかけを与えてくれました。また私が初めて先住民族やその文化との交流を初めて経験したのもアメリカにおいてでした。  この頃から、私は少しずつ少しずつ、コンテンポラリー・アート運動に近づいていくことになりました。というか、もしかすると本当は、コンテンポラリー・アート運動そのものが私をその中に取り込んでしまったというほうが正確かもしれません。  現代音楽や現代文学に触れることも私のアートにとってはとても重要です。それらが私に与えてくれる空間や沈黙の形といったものに対するビジョンを通じて、私のアートは次第に安定したものになってきたように思うからです。  けれどこれらはあくまで文化的・文明的文脈のなかでのことにかぎられています。私のアーティスト人生において真に最も重要な出来事は、むしろ森や海や山の中で起こったことなのです。   (c)影響  抽象表現主義の偉大な画家たちによって導かれていたアメリカの壁画運動は、戸外という、アート表現の新しい場の可能性を私に教えてくれました。けれども抽象主義作家たちは同時にまた、自分自身と対話する一方法として屋内空間を用いる可能性を示してもくれました。 また、私は若い頃から日本の文化に何か私自身と相通じるものを感じ、日本文化に近づこうとしてきました。1950年代まではヨーロッパのアートが世界のアートを導いていたのに対して、20世紀の後半はアメリカが世界のアートを変革する役割を担ってきましたが、そこには日本の文化の影響も深く関わっていると私は考えています。  戦時中、芸術家たちはひっそりと活動することしか許されていませんでしたが、それでも彼らはけっして現実で起きていることを世界に示そうとする努力を捨て去ることはありませんでした。例えば、コンストラクティブ・アートの芸術家たちはスイスやアメリカに亡命して活動するしかありませんでしたし、また、コンセプチュアル・アートは社会の隠れたイメージを引き出すものとして生まれてきました。  しかしながら、私はこの場で歴史上の様々な因果関係について長々と論じるつもりはありません。そうではなくて、私はこれから、私自身が、私自身の時代を生きるなかで発見したことについて、またアートにおける私の兄弟や姉妹との出会いについて、皆さんにお話ししたいと思います。  私自身の内部で並行している二つの方向性――コンテンポラリー・アートに対する欲求と、遠く離れた人々や場所のもとへ巡礼したいという欲求――とは、私の中でたまたま同居したもののように思えますが、私はそのような巡礼を通じて発見したもの――つまり様々な民俗儀式や、口承文学によって受け継がれてきた伝統など――を、今度は現代演劇や現代音楽の場に持ち帰りました。  私はまた過去の名もなき先達や、非常に強い個性をもった人々との出会いからも影響を受けてきました。これらの人々は私に作品の題材を与えてくれました。  私はある時期から、ギャラリーや美術館以外の別の文脈で、自分のアートを発表したいと思うようになりました。そうして眺めてみると、自然の中にも都会の中にも、あらゆる人々に対して開かれているスペースは発見できました。都会についていえば、例えば建築物がそうです。種々の建築物は私にそれぞれある異なる印象を与え、私はその印象を自分の作品を通じて表現したいと思います。  現在、私は戸外に設置するための作品を制作するようになっていますが、その際私は、この戸外の環境から得た私の印象やビジョンを、私たちが日常生活を送るその何気ない場所に与え返すこと、あるいは付け加えることを心がけています。  私は空間と光を主な主題として仕事をしています。私はしばしば他のアーティストたちとコラボレーション(共同)で制作活動をするのですが、それらの作家たちはみな、アートに様々な要素を持ち込み、音や声、運動する肉体などを通じて私たちの五感を呼び覚まそうという、同じ意図をもったアーティストたちです。   (d)アートに対する私の基本的姿勢  アーティストは常にマテリアル(材料)を必要とします。つまりアーティストである私たちは、マテリアルや物質を絶対に必要とするという意味で、いわば物質主義者(マテリアリスト)だと言えますが、私たちにとってのマテリアルは、それを通じて他の人々に語りかけるための言葉でもあります。アート表現において重要なのは題材ですが、それと同時にそのアイディアや概念は、アーティストにとっての道具であるマテリアル(材料)の助けがなければ表現できません。つまり、アーティストにとってのマテリアルは、技術労働者にとっての道具や音楽家にとっての楽器のようなものだといえます。  それゆえ、私たちが何を表現したいかによって、表現媒体は様々に変わりえます。たとえばある空間に長い線を引きたいと思ったとき、わたしはしばしば紐を使いますが、それは木や光を使ってもよいわけです。  私は様々なシチュエーションのもとで、しばしば偶然に導かれて、マテリアルやテクニックを発見してきましたが、それらはやがてそれ自身の生命を帯び、一瞬ごとに成長・発展していくように思います。最近私が出会ったマテリアルは紙です。ここ一年ほどの間、私は非常な幸運で手に入れることのできた素晴らしい和紙や、自分で漉いた和紙から着想を得、それらを使って制作してきました。  私はつねに、日常生活のなかの様々の要素や材料にひきつけられてきました。そしてその結果として、これまでにガラスや石や、自然の中にあるシンプルな材料をマテリアルとしてきました。  私は他者の存在や精神に近づくものとして自分の作品を創作しています。いわば、わたしの作品を人々が見るとき、それを作った私自身の欲求(desire)と全く同じ欲求によって作品に栄養が与えられるようなものとして、作品を制作しているのです。行動は、作品を作り上げる過程でもありますが、私のアートへの欲求を引き出すものでもあり、これら両者と、他者との相互作用が私の作品をより大きなものにしてくれるのです。  アートはそれを見る人がいてはじめて生命をもちます。  それゆえ私は日常的な生活の場、私たちが頻繁に足を運ぶ場所を作品発表の場として考えています。また時には、これまで誰も思いつかなかった、けれども見るに値するという特別な場所を発見することもあります。こ、のような場所のいくつかは私の制作意欲を強く駆り立てます。とはいえ本当のところは、私はどこへ行っても、とにかく何かをしていたい、何かを作っていたいのです。  私は自然に対して強い愛着を抱いていて、自然と人間はどうすれば対話できるのか、どのように対話できるのかを常に考えています。 (f)私の作品について  私の関心は、これまでにかつてなかったほど強く空間に向かっています。したがって、これから新しいアートや新しい題材を模索する上で私の進むべき道は、空間と光にあると思っています。私が空間というとき念頭においている空間は3つにわけられます。ひとつは字義どおりの、場所としての空間、ふたつめは私が作品を構成するための空間、そして3つめは人々がその作品とある関係性をもつために行き来する空間です。わたしたちはまずそこで起こる視覚的な対話に目を向ける必要がありますが、そこで同時に起こっている感情の交流についてはどうでしょうか?  このような感情の交流を私は精神的な光と呼びたいと思います。 物質としての光そのものについても私は研究してきましたが、そのなかで私は光による言語のようなものを考えるようになり、そうして光は私の作品の主題となりました。若い頃、エジプトの彫刻やローマ彫刻や日本の縄文土器などを前にしたとき、わたしの目をこれらのものに対して開かせたのは光でした。光は物体の容積(volume)をあらわにするからです。そしてここで、つまりめいめいのアーティストが自分自身でみつける(光の)言語において、私たちはついにこの世界と親密な関係をもつ秘密のかぎを握るのです。私のアートについてのこのささやかな講義は、どうやらようやく視覚言語について述べるところまで来たようです。 どんな人についても言えることですが、ある人の性格にはその人が人生で出会う数えきれない経験が分かちがたく関わっています。そしてこのようにそれぞれのイメージや概念や印象によって時の歩みとともに少しずつつくられる個々人の小宇宙が、この奇跡のような私たちの世界を形作っているのです。 私たちのアイデンティティは、このように個々人によって異なる小宇宙に異なる形を彫りこんでいく時間(とき)によって形成されています。私はこの小宇宙を”World of Forms”(「形の世界」)と呼んでいます。 私たちは、この個々人独自の「形の世界」を徐々に発見していくことを通じて、それとの関係性の中に自分の居場所を見出していきます。 時間は空間によって引き起こされ、マテリアル(題材/物質)は光によってあらわにされます。 発展しつづけるこれらの構造は、それ自身の可動性のなかに「形」(Form)を再現しますが、このようにして形は空間を維持する必要性から現実のものとなり、空間のなかから立ち上がっていくのです。  視線は空間の広がりに応じて延びていき、それゆえ時間と深いかかわりをもっていますが、一方、光は私たち存在と物体との間の対話のなかにヴィジョンをもたらします。私たちの視線のとらえる一日一日、一秒一秒は、常に微妙に変化しています。このようなことに対しても、光がなければ、私たちは盲目です。  創作のためのマテリアル(材料)は視覚的な時間、このデリケートな視覚言語のなかで変容していきます。それゆえ私たちは、精神の存在によってのみ可能となるこの対話に敏感にならなければなりません。  私たちはこのようにして、自分自身の感覚によって現実へと近づいていきます。身体が空間の内部で動くにつれて起こる、空間と身体との接触を、私たちは感覚によって――非常に微細で親密なものから、遥か遠く隔たったものまで――感じとっているからです。  そして視線の限界点としての地平線は、視覚という現象が起きている時間のなかへと私たちを導いてくれているのです。 (g)結論  私はアーティストです。したがって、ものを創造するために、様々な人生経験を必要とします。アーティストであるためには、まず何よりも感じることが必要です。それにはむろん喜びだけでなく、苦しみも伴いますが、しかし私はアートなしには生きることができません。きっと私は、物を作る人間、物を作らずにはいられない人種に属しているのでしょう。すべての人はこの社会において各々の使命をもっていますが、私自身の使命はここまで述べてきたことから明らかでしょう。 そしてその使命は、他者の存在のゆえに、そして他者の存在を通して、生きたものでありえているのです。 けれど究極的には、私たちは自然の前では――人それぞれの使命といったことには関わりなく――誰しも皆、おなじく子どものようなものであるのかもしれません。 (大脇美智子 訳)